「農業維新」   

新年明けましておめでとうございます。

今年の正月は、全国的な大寒波で始まった。大潟村も年が明けると同時に雪混じりの強風が吹き始めた。元旦の朝は、吹雪で一面銀世界である。今年の正月は、これから1年間の計画をしっかりと立てて、正月明けは1日もむだにしないように動かなければならない。今までの8ヶ月間は、とても貴重な経験をした。これからの1年間は、その経験を活かしていかなければならない。

私は、農業の世界は、今年「農業維新」を迎えることになると考えている。農業が40年間続けた米を減反する政策から、米を増産する政策転換をした。また、稲作の収入不足を補う戸別補償政策に取り組んだ。そして、官民を挙げて米の消費拡大政策に取り組むようになった。

一方、農業の現場は高齢化が進み後継者もいなく、自給率も下がっている。今こそ農業政策の大転換をしなければ、日本農業は崩壊の可能性がある。農業は、今までの政策を大胆に転換しなければならない時に、新政権が発足し農業政策の大転換を始めようとしている。

残念ながら、全国のJAグループをはじめ、行政機関や県議会レベルでは国の農業政策の大転換についていけないでいる。農業に関わる団体や関連団体は、自分の意見を持たず、常に国から何かをもらうという、おねだりの気持ちを今も持ち続けているようだが、新政権が進めようとしている農業政策を理解し、1日でも早く新政策に対しての対応を進めていかなければならない。

大潟村は、日本で一番早く国の新しい農業政策についての対応を進めている。

国の新しい農業政策に対する参加率は、日本で一番高い参加率になるのではないか。昨年11月26日に、赤松農林水大臣が大潟村に来て、「ペナルティを科さない。」との発言が一番大きな力になっている。

稲作のモデル農業の創造を目指して入植した入植者にとっては、畑作に不向きな干拓地での畑作のモデル農業はできなかった。しかし、新しい農業政策では、畑作に不向きなところは、米を作ってもよいことになった。

畑作に不向きなところに、米を作ってくださいとの政策であるから、反対する理由がない。大潟村が40年間待ち続けてきた政策が始まった。そのため、大潟村の農家は、あらためて稲作のモデル農業目指して新政策に参入することを決めた。

私は、加工用米や新規需要米を利用して、加工食品を本格的に開発し、営業活動を行っていくが、多くの農家は今年は加工用米の生産だけの取り組みである。

しかし、数年後には大潟村は、日本有数の食品加工産業の村になるのではないか。

農業農村には、進むべき先のモデルがないからできないのである。米の個人産直の時もそうだったように、私がビジネスモデルを創ったら、皆同じことを始めた。米の加工食品の開発と営業も同じことが始まるのではないか。

大潟村は40年間、正しい評価を受けられないできたが、それは本当の大潟村の姿を知らないからだ。
大潟村が動き出したら、今まで大潟村を非難してきた人達はどんな反応をするのだろうか。大潟村の動き以上のことを秋田の農家に対して提案できるだろうか。

協会では、正月明けすぐに新農業政策に対しての説明会を行い、全員参加を目標に持って進めていこうと考えている。

私のブログは、今日から「農業維新」という名前にし、今まで以上に新しい時代の新しい農業を創造するようにしたいと考える。

by a-wakui | 2010-01-01 19:44

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