「干拓地での畑作」   

昭和45年に大潟村に入植以来、様々な作物に取り組み、米以外の畑作は皆失敗した。大潟村は干拓地のため、地下水位が高く常に湿害の影響を受け続けてきた。

干拓地である大潟村では、米づくりができるようにするための排水対策は行われてきたが、畑作をするための土地改良工事は、米づくりのための工事の十倍もの費用がかかるためできないでいる。
農作物は、地下水位が低く水が少ない所で畑作が発展し、地下水位が高く乾きにくい所で米づくりが発展してきた。

畑作も米づくりも、農作業がしやすいように道路を造り、用排水路を造り、1枚の面積を大きくするための工事は進めてきたが、水田を耕作用に変える工事は基本的には行ってこなかった。
日本人にとって、田はとても貴重なため、雑種地を畑に、畑を田にするのはとても簡単であるが、田を畑に、畑を雑種地にすることは農業委員会の許可が必要である。
まして水田を農業以外に利用するには、とても厳しい条件が必要になる。減反政策により、奨励金を出して水田を畑にすることは、とてももったいない土地の利用方法である。

by a-wakui | 2008-04-26 10:13

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