「40年間」   

大潟村は51年前の干拓計画の時に、将来の国際化時代に対応できる農業の姿を創造するためにできたモデル農業であり、モデル農村だった。
残念ながら、干拓と同時に減反政策が始まり、減反政策の是非をめぐって村内の意見が二分され、その状態が今日まで続いている。

40年間続いた減反政策も大きな曲がり角にきたが、大潟村の農家の感情はほとんど変化していないから不思議だ。
人間にとって40年は一生と同じ意味を持つのかもしれない。

中東をはじめとして、世界各地で宗教問題による争いを何百年も続けている。
減反政策も40年間続いたことにより、減反政策がなくなっても、減反政策に40年間参加してきたことにより、お互いに同志的統合状態になっているのかもしれない。

農業政策は大きく変わる以上に、世界の食糧事情が大きく変わっているというのにとても残念だ。

by a-wakui | 2008-08-13 08:36

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