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「米粉の需要」   

需要はあるが供給がない。それが日本の米粉の実態であった。遅ればせながら、私もようやくそのことに気がついた次第である。
そのため、急遽小麦を利用しない米粉専門のプラントを建設することにした。
一口に米粉と言っても用途によって細かさは多用である。そのことについては徐々に対応していけばよい。
今は、小麦の混ざらない、100%の米粉を作ることが先決である。

幸い、協会では小麦を使用していないので、小麦粉が混ざる心配はない。しかし、問題になるのは価格である。
昨年までは小麦粉の価格はとても安かったが、バイオエタノールの需要増により価格が上がってきた。今年の秋にもまた小麦の価格が上がり、米の価格に近づく。
あとは精粉単価がどこまで下がるかによって、利用の現実性が出てくる。

by a-wakui | 2008-05-31 17:13

「米粉」   

協会でも、世の中の流れを受けて、米粉の要望を多く頂くようになった。しかし、米粉の製造を他社に依頼すると1kg当たり数百円もかかり、米代よりも高くなることがある。
また、最近の品質重視の視点から、小麦粉が混ざるコンタミも問題視される。

不思議というべきか当たり前というべきか、日本には小麦を精粉する工場はたくさんあるが、米を精粉する専門の工場が1ヶ所もないという現実がわかった。
日本は神代の昔から、米は粒で食べる物であり、粉にする文化はなかったのだから、米を粉にする設備がないのは当然である。

by a-wakui | 2008-05-30 11:44

「食糧政策の方向性」   

日本は米の粒食文化を続けてきたことで、アメリカやヨーロッパの小麦の粉食文化とは大きな違いを維持してきた。
それが、日本の食文化を独特の文化となり、外国からの粉食文化の流入に一定の歯止めをかけていたのも事実である。

しかしながら、食文化は粉食か粒食かということに関係なく、ありとあらゆる形態や栄養価
・カロリーの壁を越えて、様々な発展をしてきた。

今、日本の食糧政策は、小麦の粉食文化と米の粒食文化の壁を乗り越えた所に、今後の方向性を確立しなければならない。

by a-wakui | 2008-05-29 09:48

「食糧政策の本質」   

日本政府も、世界の食糧不足の状況から国の食糧政策の方向性の見直しを始めようとしているが、選挙の情勢をにらんでの政策の立案なので、食糧政策の本質からはずれるのが残念でならない。

しかしながら、農業関係の新聞やJA関係の会議では、米の他用途開発として米粉の話題が連日のように出ている。米をやめて畑作をすることで、減反政策を40年間実施してきたが、良い結果が出たとは言えない状況である。

40年間の減反政策の結果は、高齢化と若者の就農不足を招いただけである。
このままでは、日本の農地は外圧ではなく、労働力不足という内圧で農業が維持できなくなることが目に見えており、また国民1人当たりの米の消費量はますます減り続ける。

生産基盤が弱い、消費者が減る。この悪循環の農業構造をどのようにしたら改善できるのか、それが米の粉食化という訳だ。

by a-wakui | 2008-05-28 09:12

「国際的な食糧問題」   

先日の新聞に、日本がフィリピンに輸入米を輸出する記事が出ていた。記事を読むと、輸出国のアメリカは日本に対して国内で消費をするように、他の国には輸出しないことを条件にしているとのことだった。

しかし、国際的な食糧の高騰により、日本が輸出することを了解したとのことだったが、無償援助なのか有償なのかはまだ決まっていないそうだ。日本はアメリカの言うことを聞かないとやっていけない国だと言われるが、ここにもその現実が見えたようだ。

それにしてもこの数ヶ月、国際的な食糧に関わるニュースが多い。それも全て食糧不足と価格の高騰のニュースばかりが。

by a-wakui | 2008-05-27 15:48

「稲の生育」   

5月上旬まで晴天が続いたが、その後寒さと強い風が続き、稲の生育状況が例年より悪かった人が多かった。そのためか、田植え後の稲が枯れた田圃や、植えたままの状態で小さくなっている田圃が多い。

私は4月28日から5月9日までに田植えをしたので、田植え中の天候は良かった。しかし田植え後の天候が悪かったためか、予想していたより稲の生育は良くなかった。

それでも田植えをしてから20日程経ち、稲も徐々に元気が出てきた。今月の末になれば、見違えたように元気になるだろう。

by a-wakui | 2008-05-26 10:35

「環境の変化」   

大潟村は入植40年が過ぎ、多くは2世の時代になった。589人の入植者のうち、すでに60人が離農し、これからも50人以上が離農するだろうと言われている。
そしてこれからの米価の方向性がどうなるのか、誰にもわからない。
国の農業政策もどこに進んで良いのかわからない状態である。

しかし、このような時にこそ、大潟村から新しい農業の方向性を創造するアイデアを出すべきではないか。もっとも、アイデアは出せと言われて出せるものではない。
日本の農業はどうあるべきか、大潟村の農業はどうあるべきか。そして自分の農業はどうあるべきか。寝ても覚めても、明けても暮れても、24時間考え続けていなければ、生きたアイデアは出ない。

大潟村に求められるのは、入植以来40年間様々な政策に囲まれてきたことを活かし、新しい環境の変化に対応できる知恵とエネルギーがあるか否かである。
これからの農業経営は、所有する農地面積や設備といったものは、何の意味も持たない。高齢化により1人当たり100ha、200haと耕作しなければ、日本人の食糧が維持できない時代が目の前に来ている。

また、米の販売も今までのように、産直だから売れるという時代ではなくなる。
「経営とは環境の変化に対応することである」
と言われるが、環境の変化に対応できる後継者が育っているか否かが重要である。

by a-wakui | 2008-05-25 15:20

「モデル農村」   

大潟村は干拓の経緯から、様々なモデル性を提案してきた。
モデルの内容を期待した側から見ると、期待に反したらモデルにならないと感じるかもしれない。しかし、新生の大地ができ、そこに全国から入植し、入植した農家が農業政策の中で様々な試行錯誤を繰り返すことその全てがモデルであると考えるなら、どうだろう。

基盤整備はお金をかければできるが、その中でどのような農業をするのか。特に干拓地という特殊な土壌の中で、どのようにしたら経営が成り立つ農業ができるのか。その全てがモデルなのではないか。
同じ面積で農業を始めても、40年経つと大きな開きができる。これもモデルではないか。
今大潟村で起きていること、そしてその結果の全てがモデルになるのではないか。

by a-wakui | 2008-05-24 09:21

「個人産直の開始」   

国が米を買わない。
農家が選んだ道は、自分で自分の米を売ることである。最初は玄米を販売していたが、年に何人かがだまされて、米は売ったが代金がもらえない、ということもあった。

昭和62年に私が協会を創り、あきたこまちの個人産直を始めた時から、大潟村の空気は一変した。白米が売れるということ、しかもビジネスになるということは、それまでの大潟村では想定できなかった。

私が個人産直を始めた翌年に、別の農家が会社を創り、その翌年にも、また別の農家が会社を創った。そして3年後には、大潟村に大小80以上もの、米を売るための販売グループができた。

by a-wakui | 2008-05-23 13:03

「しがらみのない農村」   

大潟村の農家は様々なことに取り組んできたが、特筆できるのは日本の個人産直のビジネス化であろう。
大潟村で米の個人産直が急速に増えたのには理由がある。
大潟村は新生の大地であり、全国からの入植者が村を構成した。当然のことながら、一般の農村のようなしがらみのない農村ができた。

国の進める新しい農村は、しがらみのない農村を造ることでもあったので、その面は成功した。
しかし、しがらみのない農村は、自己主張の強い農村でもあった。国が進める減反政策は、一般の農村の古いしきたりや習慣を利用しなくしては達成できないものであった。
大潟村では、「米作りのために入植した」という強い信念が、国の減反政策と相容れなかった。そのため、減反政策に従わないことで、国に米の買い入れを拒否されるという結果を生むこととなった。

米を作り、その米を販売することで、土地代を払い、生活費や営農経費を払う必要があったが、国が米を買ってくれないとなると、離農しなければならないのだ。

by a-wakui | 2008-05-22 16:46

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