「40年も続くと・・・」   

大潟村でも20年度の生産調整参加の有無の最終調整の段階にきている。
生産調整の参加の是否は個人の自由なのだから、他人の参加の是否はどうでも良く、自分のことばかりを考えていれば良いようなものだが、生産調整も始まってから40年も経つ。私が21歳の時から始まり、今年で60歳になるのですでに40年である。

どんな政策でも40年も経つと、参加の是否はもはや信迎心のようなものである。そのため、生産調整に参加する人としない人は、決して相入れないものがある。
それは、江戸時代から続いている村意識を利用して生産調整をすすめてきた結果である。
その意識は親から子に引き継ぎ、子から孫にも引き継がれていくに違いない。

大潟村においては、その意識が他のどの地域よりも強いかもしれない。それは、米の専業農家の集まりであるからなおさらかもしれない。

# by a-wakui | 2008-03-15 12:13

「変化のサイン」   

経営は変化に対応することだと言われる。
大潟村の入植者は、40年前に全国から大潟村に入植したように、他の人にはできない大きな変化に対応してきた。
そして、39年続く生産調整に対応しながら今日まで来た。39年間続いた生産調整も今大きく変化し、新しい農業の方向性を示そうとしている。

世の中の変化と同じように、農業の方向性が変化する時には「これから曲がります」とはアナウンスしてはくれない。変化の兆しは、様々な所にあらわれている。その兆しに気がつくか否かは、農業者個々次第であり、気づいたら、そのための準備を始めることが必要だ。
国は農業政策において、明らかに変化の方向性のサインを送ってきている。
国がサインを送ってきているのに、農業者や農協の関係者の多くが、そのサインを見ないふりや気がつかないふりをしているのか、本当に見えないのか、そのことが心配だ。

大潟村は専業農家の村として、石炭の夕張市にならないように、今こそ大胆な政策をたてる時が来たのではないだろうか。

# by a-wakui | 2008-03-14 17:08

「機械は進化」   

兼業農家の場合は、農業政策そのものより、兼業先の会社の経営の状況が直接農業収入に響くが、大潟村のような専業農家は農業政策が直接農家収入に響く。
私は大潟村の農家を専業農家として位置づけ、そこから日本の専業農家政策はいかにあるべきかとの考え方を述べている。

特に、19年度から始まる集落営農方法では、30ヘクタールから50ヘクタール規模の農
業法人を全国に創ろうとしているが、大潟村で専業農家経営が成り立たない場合は、全国の集落営農も成り立たない可能性が高いのではと考えている。
そのため、大潟村の農業経営のあり方を通して、日本農業の将来の方向性を試行錯誤している。

大潟村は15ヘクタールの水田があったから入植以来40年近く経営することができた。
40年前の米価は1俵8千円だった。それが2万円になり3万円になり、そして1万4千円~1万5千円になり、将来は1万円米価の時代になるのではないかと言われている。

40年前には携帯電話はなく、車は各家1台、テレビも1台だった。今は家族のほとんどが携帯電話を持ち、車も各家に3台以上、テレビも各自の部屋にある。
また、トラクターは40馬力が140馬力に、田植機は、手歩行用の4条植えから乗用の10条植えに、コンバインは4条刈りが6条刈りになったのに、面積は同じ15ヘクタールのままだ。それではどんなに計算しても、経営が苦しくなるのは当り前だ。

# by a-wakui | 2008-03-13 16:12

「農業の実態」   

私の発言に対して早速各方届から様々な批評を頂くことになった。
私が協会創立以来20年間にわたり、私の一挙手一投足の行動や発言に対して、実に様々な批評を頂いている。それも私と一面識のない方々より沢山の批評を頂く。

私の頭の中には、日本農業が高齢化と若者の就農不足により崩壊のカウントダウンに入っていることをどうやって避けたら良いのか。そのためには日本の兼業農家はどのような経営を創造したら良いのか。1日24時間、そして21年間寝ても覚めてもそのことを考え続けている。

農業にかかわる全ての農協の関係者、そして行政の担当者、そして政治家の皆様は、今こそ日本の農業の実態を農家にそして国民にも正しく伝え、日本がとるべき農業の方向性を示す時が来たのではないだろうか。

農業の実態がどうなるのか、これからどうしなければならないのか。農水省の役人は皆知っている。ただ、そのことを話す場が無いことと、理解しようとする人達が余りにも少ないことだ。そのことは、日本の農業というよりも、日本人の食糧政策の崩壊にもつながることではないだろうか。

# by a-wakui | 2008-03-12 16:39

 「生産調整参加の自由」   

協会は、創立以来生産調整に参加しないことにより、国に米を販売できなくなった農家の米を替わりに販売することによって、農家の自主自立のための経営支援をしてきた。
しかし、そのことは農家の生産調整に参加しないことをすすめたのではなく、生産調整に参加しないことにより、米の販売先をなくした人を支援してきただけである。

私のこのような考え方は、心ない人達から見たら、農家を生産調整に参加させない悪の言下のように表現する人も出てきた。
私は、平成18年度においても、100人程の会員を生産調整に参加するように提案をした。残念ながら補助金の配分をめぐって、新しく生産調整に参加することはできなかった。

今年は、2回目の団体参加を目指す取り組みになった。
生産調整に参加すると、米づくりに対する減反補償分として、産地づくり交付金が出るが、交付額が平成16年度より3年間固定となった。
そのため、16年、17年、18年の3年間、そして19年、20年、21年の3年間の交付額が固定する。
19年度からの交付額を増すには、18年度に参加しておかないと、19年度からは増えない。
18年度に参加すると既存の参加者の交付金が減ることになる。そのために18年度に参加出来なくなった。

そのため、20年度においては最初から、産地づくり交付金について、既存の生産調整参加者には1円の迷惑をかけない。その上で、大潟村の農家が専業農家として経営を維持できる道があれば、積極的に参加をしたいとの考えで、協会の生産者会員に、生産調整参加の道を提案させてい頂いた。

# by a-wakui | 2008-03-11 14:23

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