「方向性の変化」   

農業政策も5年から10年の間に変化をしている。それは社会の変化により、政策も変化させていかなければならないからだ。
同じように、農家個々の経営も長い間に徐々に変化していく。
そのために、農家の経営も5年から10年の間に経営内容を点検し、時には大巾に経営の方向性を変える事も必要になる。

私は協会を創立して21年経つが、3年おきくらいに経営の内容を大巾に変化させている。そのために様々な設備投資もかかるが、そのことが10年後、20年後の協会の経営にとって必要なことではと考えてきた。

私は協会の生産者会員に対しても、3年に1度くらいは大きな決断を求めてきた。それが生産者会員の皆様にとって良いことだと考えたからだ。
今回の生産調整に参加する呼びかけもそのためだ。

# by a-wakui | 2008-03-18 13:17

「生産調整に対する意識の脱皮」   

大潟村が、これからの日本農業のモデルとして、再び生まれ変わるためには、参加しなければならない生産調整から、活用する生産調整に意識の脱皮を計らなければならない。そのためには、20年度の生産調整に対応する方法が大事になる。

私は生産調整の参加は反対ではなく、強制する事には反対の立場である。反対に、生産調整を活用して自分の農業経営に活かすことは、大賛成である。

おそらく、農業政策にかかわる国の誰もが、私の考え方に賛成ではないだろうか。
もともとが生産調整とはそういう政策である。私は協会の生産者会員に、そのように説明をしているし、今年もそのように説明し、できるだけ多くの方が生産調整に参加するようにすすめている。

# by a-wakui | 2008-03-17 10:59

「自由の不自由」   

生産調整は、米の収入減を補填するために奨励金が交付されるが、今は奨励金の額によって生産調整の参加の是否を論じるのではなく、今まで40年続けてきたのだから、自分はこのまま行くしかないのだという。一種の悲壮感に似たものである。

本当にそうなのだろうか。生産調整をすすめてきた国も、将来のことを考えると生産調整の参加を自由にしたのだから、自由にすれば良いのではないか。
私はそう思うが、今まで40年間参加してきた人は、今さら自由だと言われても、その自由をどのようにしたら良いのか考えにくいのかもしれない。

生産調整の40年間の歴史は、人間の心に見えない鎖をつないでいるのかもしれない。

# by a-wakui | 2008-03-16 14:23

「40年も続くと・・・」   

大潟村でも20年度の生産調整参加の有無の最終調整の段階にきている。
生産調整の参加の是否は個人の自由なのだから、他人の参加の是否はどうでも良く、自分のことばかりを考えていれば良いようなものだが、生産調整も始まってから40年も経つ。私が21歳の時から始まり、今年で60歳になるのですでに40年である。

どんな政策でも40年も経つと、参加の是否はもはや信迎心のようなものである。そのため、生産調整に参加する人としない人は、決して相入れないものがある。
それは、江戸時代から続いている村意識を利用して生産調整をすすめてきた結果である。
その意識は親から子に引き継ぎ、子から孫にも引き継がれていくに違いない。

大潟村においては、その意識が他のどの地域よりも強いかもしれない。それは、米の専業農家の集まりであるからなおさらかもしれない。

# by a-wakui | 2008-03-15 12:13

「変化のサイン」   

経営は変化に対応することだと言われる。
大潟村の入植者は、40年前に全国から大潟村に入植したように、他の人にはできない大きな変化に対応してきた。
そして、39年続く生産調整に対応しながら今日まで来た。39年間続いた生産調整も今大きく変化し、新しい農業の方向性を示そうとしている。

世の中の変化と同じように、農業の方向性が変化する時には「これから曲がります」とはアナウンスしてはくれない。変化の兆しは、様々な所にあらわれている。その兆しに気がつくか否かは、農業者個々次第であり、気づいたら、そのための準備を始めることが必要だ。
国は農業政策において、明らかに変化の方向性のサインを送ってきている。
国がサインを送ってきているのに、農業者や農協の関係者の多くが、そのサインを見ないふりや気がつかないふりをしているのか、本当に見えないのか、そのことが心配だ。

大潟村は専業農家の村として、石炭の夕張市にならないように、今こそ大胆な政策をたてる時が来たのではないだろうか。

# by a-wakui | 2008-03-14 17:08

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