青森県鶴田町の議員が来社された。
ジャパン・パックライス男鹿の工場を見学したいとのことなので、パックライス事業について説明をしたが、パックライス事業は多額な投資がかかるので、簡単にはできない。
パックライス事業を進めるには、死に物狂いで頑張る人がいなければできない。
また、パックライス事業には大量の原料米が必要になるので、原料米を生産する体制も必要になると説明した。
夜8時より、NHKで「東北タイムカプセル」が放送された。
明治時代、東北は冷害のため、米作りには不適な土地とされていた。
冷害の年、山形県で、実りのなかった田に、3本実入りのある稲を見つけたことから、東北の稲作りの新たな世界が始まった。
発見された稲は、4年かけてテスト栽培が進められ、冷害の年でも実入りが良いことが確認された。
冷害に強い稲は、発見者の名を取って「亀の尾」と名付けられたが、亀の尾は他の品種と交配され「陸羽132号」となり、更に冷害耐性が強くなった。
その後、陸羽132号は、岩手県の花巻で宮沢賢治によって普及されたが、戦後の日本は食料不足で、米の増産が急務であった。
食料不足解消のため大潟村が干拓されたが、入植と同時に減反政策が始まり、減反に従わないで植えられた稲は、青刈りをさせられた。
それでも米を作り続けると、今度はヤミ米として村内の出入り口に検問所が設置された。
その環境の中で、私が米の産地直送に取り組んだことが放送された。
冷害に強い亀の尾の発見、陸羽132号の普及と並んで、私の取り組みも紹介されていたが、この取材の最中は、米不足に対応するため、米の増産が最重要政策であった。
しかし、取材後に政権交代があり、増産政策から一転、減反政策が始まった。
東北タイムカプセルは、過去の農業の歴史を放送したので、増産政策から減反政策になったことまでは放送しなかったが、今回の政策変更は、日本の農業環境の現状を反映しているのではないか。
圃場の方は、3工区の暗渠100本が終了したので、来週から2工区の暗渠作業を始める。
毎日、雨が降っており、圃場での仕事は大変だが、これから一日一日と寒くなるので、少しでも仕事を進めておかなければならない。