ガレキ処理   

先日、北海道・東北知事サミット会議が開かれ、被災地のガレキ処理のことが話題になった。

ガレキ処理については、放射性物質があるか否かについてが、受け入れの判断材料になっているようだ。

ガレキの中の放射性物質が国の基準より少ないといっても、一般の県民にして見れば、放射性物質の量の多い少ないではなく、少しでもあれば「だめだ」というのではないだろうか。

それは、その地域の産業によっても異なるかも知れないが、農業に関わる方は、特にその考えが強いのではないだろうか。

しかし、不思議に思うのは、放射性物質があるか否かにかかわらず、どうしてガレキを他に移動させようと考えるのだろうか。

ガレキのある場所は、皆、津波の被災地である。津波のため、住宅を建てられないところにガレキを集め、そのガレキに土をかけ、木を植えて、高台を作り、津波の時の避難地にしたら良いのではないだろうか。

以前、復興会議の時、建築家の安藤氏もそのことを提言していた。あの時の話はどこに行ったのだろうか。

2,000万トンを超えるガレキが、放射性物質が少なく安全だというのなら、何年もかけて他に移動させ、膨大な費用をかけるよりも、そのガレキを活かすことを考えることにより、ガレキの移動のための予算を、復興に使うことができるのではないか。

ガレキを再利用することにより、津波からの避難場所ができ、その避難場所と津波の意味を、長年後世に伝えることが、最も重要なことではないのか。

被災地のガレキ処理の話が出る度、放射能汚染の話になる。

このままでは、いつまでたっても東北の農産物は放射能汚染の風評被害から抜けられないのではないか。

by a-wakui | 2011-11-21 16:53

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