「新生の大地大潟村の不幸」
残念ながら、大潟村においては、全国の農家では許容できる解決策が適応できなかった。そのことがモデル農村を目指した、「新生の大地大潟村」の不幸の始まりでも有った。
大潟村は、1万ヘクタールを1000人の入植者が10ヘクタールの稲作をするために設計された。しかし、営農の始まりと同時に減反政策が始まり、土地を半分残して入植は中止になった。
その残った土地を処分するために、1次から4次までの既存入植者と、新しい5次入植者に田畑半分の15ヘクタールの配分が行われた。入植者は畑作では経営が出来ないことを知っていたので、畑作地ならいらないと言ったら、行政側では減反は緊急非難だから2~3年で田圃になると説明した。
農家だから誰でも農地が欲しいのは当たり前だから、2~3年で米が作れるならとの想いで、15ヘクタールの配分を受けた。
その2~3年が、すでに35年を超えることになった。
そして15ヘクタールの半分、7.5ヘクタールに対しての畑作だから、転作奨励金がつかないことになった。
全部米を植えても、不作が続けば借入金を返せなくなるのに、奨励金のつかない畑作では借入金を返すことができなかった。
それでも2~3年後になれば米が作れるとの想いで、我慢に我慢を重ねたが、何年経っても米を作ることは出来なかった。
大潟村は、1万ヘクタールを1000人の入植者が10ヘクタールの稲作をするために設計された。しかし、営農の始まりと同時に減反政策が始まり、土地を半分残して入植は中止になった。
その残った土地を処分するために、1次から4次までの既存入植者と、新しい5次入植者に田畑半分の15ヘクタールの配分が行われた。入植者は畑作では経営が出来ないことを知っていたので、畑作地ならいらないと言ったら、行政側では減反は緊急非難だから2~3年で田圃になると説明した。
農家だから誰でも農地が欲しいのは当たり前だから、2~3年で米が作れるならとの想いで、15ヘクタールの配分を受けた。
その2~3年が、すでに35年を超えることになった。
そして15ヘクタールの半分、7.5ヘクタールに対しての畑作だから、転作奨励金がつかないことになった。
全部米を植えても、不作が続けば借入金を返せなくなるのに、奨励金のつかない畑作では借入金を返すことができなかった。
それでも2~3年後になれば米が作れるとの想いで、我慢に我慢を重ねたが、何年経っても米を作ることは出来なかった。
by a-wakui | 2008-03-04 14:16
