「自由の不自由」
生産調整は、米の収入減を補填するために奨励金が交付されるが、今は奨励金の額によって生産調整の参加の是否を論じるのではなく、今まで40年続けてきたのだから、自分はこのまま行くしかないのだという。一種の悲壮感に似たものである。
本当にそうなのだろうか。生産調整をすすめてきた国も、将来のことを考えると生産調整の参加を自由にしたのだから、自由にすれば良いのではないか。
私はそう思うが、今まで40年間参加してきた人は、今さら自由だと言われても、その自由をどのようにしたら良いのか考えにくいのかもしれない。
生産調整の40年間の歴史は、人間の心に見えない鎖をつないでいるのかもしれない。
本当にそうなのだろうか。生産調整をすすめてきた国も、将来のことを考えると生産調整の参加を自由にしたのだから、自由にすれば良いのではないか。
私はそう思うが、今まで40年間参加してきた人は、今さら自由だと言われても、その自由をどのようにしたら良いのか考えにくいのかもしれない。
生産調整の40年間の歴史は、人間の心に見えない鎖をつないでいるのかもしれない。
# by a-wakui | 2008-03-16 14:23
