「新しい村づくり」   

告示を5日後に控え、立候補者はもちろんのこと、支持者達もお盆にゆっくり休んではいられない。
選挙は告示になったら終盤だと言われているが、それは大潟村においても同じだ。

大潟村には、都会のように人口の入れ替わりはほとんどないので、不投票は少ない。
過去10回の村長選挙は、大きく分けて生産調整に参加するか否かで決まった。
他の地域では、政党の支持で選挙の方向性が決まるが、大潟村では政党の反対は大きな影響を与えない。

今回の村長選挙が今までの選挙と大きく違うのは、40年間続いた大潟村を二分する選挙に飽き足らない大潟村の若者達が、自分達の村づくりのために立ち上がったことだ。
生産調整参加の是非を問わず、大潟村の幼稚園や小中学校で一緒に遊び学んだ若者達が、初めて一緒になって新しい村づくりにと立ち上がったことは、今までの選挙にはなかったことだ。

日本の農業政策も大きく変わってきた。大潟村も変わるチャンスがきた。

# by a-wakui | 2008-08-14 17:23

「40年間」   

大潟村は51年前の干拓計画の時に、将来の国際化時代に対応できる農業の姿を創造するためにできたモデル農業であり、モデル農村だった。
残念ながら、干拓と同時に減反政策が始まり、減反政策の是非をめぐって村内の意見が二分され、その状態が今日まで続いている。

40年間続いた減反政策も大きな曲がり角にきたが、大潟村の農家の感情はほとんど変化していないから不思議だ。
人間にとって40年は一生と同じ意味を持つのかもしれない。

中東をはじめとして、世界各地で宗教問題による争いを何百年も続けている。
減反政策も40年間続いたことにより、減反政策がなくなっても、減反政策に40年間参加してきたことにより、お互いに同志的統合状態になっているのかもしれない。

農業政策は大きく変わる以上に、世界の食糧事情が大きく変わっているというのにとても残念だ。

# by a-wakui | 2008-08-13 08:36

「残された10日間」   

選挙の告示は8月19日、投票日は8月24日だ。約10日後には新しい村長が決まる。候補者や支援者は、お盆だからと言って休んでいる訳にはいかない。

大潟村の人口は3千人くらいだが、有権者は2,350人くらいだ。
そのうち農家の票が1,920票、勤め人が420票くらいだと言われ、有効得票数が95%とすると、約2,230票になる。3人で割ると平均740票だ。
当然740票では落選なので、日々必死になって運動しているが、黒瀬氏は8年間勤めた現職、高橋氏は4年前に一度挑戦し、その後4年間活動した。一方、小林氏は村長選挙に出るための活動は全く行っておらず、かなり出遅れている。
この出遅れを、若さと情熱でどこまでカバーできるのか、残りは10日ほどしかない。

この10日間を、どのように活かすことができるのか。

# by a-wakui | 2008-08-12 18:19

「実行力」   

41才の小林氏の村長の立候補には、とても大きな意味がある。
今までの村長選挙は良かれ悪かれ、営農問題の解釈によって二分された大潟村の勢力図をそのまま踏襲する選挙の構図だった。
その構図に対して、大潟村で生まれ、大潟村の幼稚園・保育園そして小中学校で一緒に学んだ若者達が、その構図を否定し自分達の村づくりの戦に立ち上がり、何もない中での選挙運動に取り組んだことだ。

若い小林氏の立候補に対して、様々な中傷をする方がいるが、その中傷をする方こそが、自分の人間性の質の低さを反省する必要があると考えている。
若い人には経験がなくても、やる気さえあれば十分だ。経験や知識は役場の職員にもあるし、たくさんの先輩もいる。どんなに経験や知識があっても、実行力がなければ、図書館に並んでいる本と同じだ。

実行力のない経験や知識は、何の役にも立たない。

# by a-wakui | 2008-08-11 09:20

「4年に一度のオリンピックと大潟村村長選挙」   

今年は4年に一度のオリンピックの年だ。
オリンピックの年は、大潟村の村長と議会の4年に一度の選挙の年でもある。

8年間の2期を勤めた女性の黒瀬村長が、3選を目指し4年前にも出馬した47才の高橋氏が今回2回目の挑戦をする。
4年前の対戦と同じ組合せになるかと思われたが、1ヶ月前に41才の小林はじめ氏が村長に立候補の表明をした。小林氏は、黒瀬村長の1期目の立候補の時に、責任者を務めたが、その後JA大潟村の理事を2期6年勤め、1期目の3年間は専務を勤めていた。

大潟村は、日本で2番目に広い湖である八郎潟を干拓してできた新生の大地だ。
将来の国際化時代に対応できるモデル農業・モデル農村を建設するためにできた村だ。残念ながら、入植と同時に米の減反政策が始まり、その後30年に及ぶ大潟村の営農問題の始まりとなった。

大潟村の村長選挙は、営農問題に対する考え方の違いから、常に激しい選挙戦行われてきた。
そこに、生後5ヶ月で第一次入植者の両親と一緒に入植した、今年41才の青年が大潟村の村長に立候補した。

# by a-wakui | 2008-08-10 08:43

「経営者の役割」   

このままいくと、新米収穫まで米不足の状況が続き、一般的に新米価格が上がり、
新米がいきわたった時点から米価は急速に下がることになるのではないか。
一時的な米価の上昇は農家にとっての利益は少ない。その時その時の相場だけで米価を考えるのならそれで良いが、経営として考える場合、一時的な値上がりにより、購入してくれるお客様をなくしてしまっては何にもならない。

協会でも米価の値上がりにより、どうしても小売価格を上げなければならず、結果としてお客様をなくしたことが何度もある。そうは言っても、米は1年に1回の収穫であるから、一番高い価格で販売したい気持ちは当然のことである。
協会も農家の気持ちに応えられるよう、全力を挙げて販売努力をしなければならない。

新米期まで1ヶ月になったが、どのような新米価格になるかはわからない。
米価は毎年のように変わるが、米価の変化に左右されない経営を確立するためには、付加価値のある商品を作らなければならない。

付加価値とは何か。商品そのものの価値か。商品を取り巻くものの価値か。その付加価値を見つけ、また創造することが経営者の役割である。

# by a-wakui | 2008-08-09 08:50

「米価の変動」   

協会の営業所を通して、全国の量販店や外食店から新規の取引の問い合わせが入るようになった。価格的には低価格米が多いが米価の変動は低価格米の不足が始まり、低価格米の値上がりが始まる。そして、全体の米の値上がりが始まる。

米の在庫は政府に100万トンしかない。1年間の生産量が820万トンなので、1.5ヶ月分の在庫しかないことになる。米は1年に1回しか収穫できないため、100万トンの在庫では、少し消費量が増えればたちまち足りなくなる。

一般流通で19年産米が不足し困っているが、政府の倉庫には19年産米が100万トンもある。本当におかしな話である。

# by a-wakui | 2008-08-08 10:29

「米不足」   

米が売れるようになったのに、売る米がなくなったという変な現象が起きている。
昨年の米価の下げに対応するため、JAグループが政府に対して緊急の買上げを要請し、30万トン以上もの19年産米が備蓄用に、10万トンが加工用米として買上げられた。

そのため、各JAの倉庫から在庫の米がなくなった。例年、JAの在庫の米を当てにしていた全国の中小の卸は、新米期までの米が手に入らないことに慌てた。
そのため政府に対して政府米の払い下げを要請し、6月、7月と4回の入札を行ったが、価格が高いばかりでなく量も少なかった。
そのため次の入札を期待したが、8月は平成17年産米だけになり、19年産米の入札はなかった。

19年産米を待っていた人達は、手に入らないので、新米までの米が不足することになる。
特に秋田県においては、19年産あきたこまちが店頭からなくなることになる。店頭にはないが、政府の倉庫には7万トン近い19年産あきたこまちの在庫がある。

# by a-wakui | 2008-08-07 14:26

「伸びる消費量」   

8月に入り、次々と様々な物価の値上がりが始まったが、米の消費はどんどん伸びているという。昨年まで米の消費量は年間9万トンも減っていたが、今年の1月からは、年間20万トンも伸びているという。
米の消費量の伸びに合わせ、「ふりかけ、のり、お茶漬けの素、レトルトカレー」等、ご飯を簡単に食べるための副食品の売り上げが20%増になっているそうだ。

「米が売れる時は不景気な時」と言われるが、本当にそう実感する。そうすると米が売れるようになるには、もっと不景気になれば良いことを願うのは、良いことか悪いことか。

# by a-wakui | 2008-08-06 08:37

「毎年が初めての米づくり」   

今年は田植え中の天候が悪く、苗の生育が遅れた。そして6月下旬までは、稲は例年比90%ぐらいの生育状況だったが、7月上旬から気温が上がり、夜温も上がりはじめたら急速に生育が回復し、7月中旬には例年以上の生育となり、現在は生育過多で倒状の危険性が出てきた。
稲が大きくなりはじめたら、稲の大敵であるイモチ病の発生も始まった。

毎年毎年同じような栽培をしていても、天候は毎年変わるので、米づくりは毎年が初めての経験だ。

今年は、いつもより2週間も早く3月中旬から農作業を始めた。田圃のプラウ耕、レーザー整地と、1ヶ月も田圃生活、そして代かきへと最後の仕上げに向かったが、田植え後の結果は、田圃のあちらこちらに浮かぶ土の丘が、松島湾に浮かぶ島々のようだ。

私は、機械の運転は何年たっても上手にならず、初めてトラクターに乗る人より下手だから嫌になる。
天候と同じように、私のトラクターの運転も毎年のように変わる。慣れた頃には、その年の仕事も終わり、また来年頑張ることになる。

# by a-wakui | 2008-08-05 16:01

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