「低下する自給率」   

反対に、日本は若者の就農不足と農業事業者の高齢化で、自給率は40%以下である。日本の家畜の多くは、輸入飼料によって飼育されているので、輸入飼料がないと日本の畜産は成り立たなくなる。そうなると、自給率は26%くらいになるという。第2次世界大戦に負けた後よりも悪い自給率だ。
その現実が近づきつつあることが、近年の世界の情勢で実感できる。そんな中でも、日本の農業は減反政策が続き、農業に夢と希望が見いだせないでいる。

現在の農業事業者の構造では、10年後には1人で100ha以上耕作しなければ、日本人が食べる米さえ生産できなくなるという。
米でさえ生産を維持することが不可能なのだから、野菜の生産を維持することはもっと難しいことである。

農作物は口に入れるものであるから、おいしく安全で、そして安心できるものでなければならないと言われている。それは当然のことである。

# by a-wakui | 2008-04-20 09:47

「深刻化する食糧問題」   

私は入植以来、何年も畑作に取り組み、失敗した。そして多くの友人達も畑作に取り組み、皆失敗した。そのため、米づくり1本に絞り込むために、協会を創立した。
そして21年経ち、世の中も大きく変わってきたが、農業の環境も大きく変わった。

世界的には、バイオエタノールの需要の拡大で小麦や大豆の畑がトウモロコシ畑に変わり、輸入小麦や大豆の価格が上昇し、それを原料とする商品の値上がりが始まった。パンや麺類の価格が上がることによって、米の値段が上がり始めた。
また、中国やインドの食文化が向上することによって、タイやベトナム等の米輸出国の米価が2倍になる等、米の国際価格も上がり始めた。

金さえあれば、いつでもどこからでも食糧を買うことができる、と日本で考えられていたのは、つい10年程前だ。
今、そんなことを真面目に発言する学者はいるのだろうか。

# by a-wakui | 2008-04-19 14:21

「干拓地での畑作」   

協会創立時に比べると、今は21年間協会の事業に関わってきた多くの優秀なスタッフと設備、そしてたくさんの会員の皆様がいる。
ないのは野菜だけである。

幸い私は40年間農業に取り組み、21年間協会の運営に携わってきた。また、40年間にわたり農業問題を通して、全国に様々な知人友人ができた。
その中には、米づくり農家よりも野菜農家、畜産農家、果実農家の方がたくさんいる。会員の皆様に野菜をお届けするためには、とても恵まれた環境にいる。

私は40年前に大潟村に入植以来、減反政策で畑作に取り組み、様々な野菜の栽培に挑戦した。メロン・カボチャ・ナス・ピーマン・トマト・ホウレンソウ・春菊・白菜・キャベツ・ニンニク・タマネギ等々、他にもたくさんあるが、全て失敗した。
大潟村は干拓地のため、地下水が高く湿害に弱い畑作物は適さなかった。湿害に加え、台風・長雨・病気・虫害等、ありとあらゆる被害にあった。

# by a-wakui | 2008-04-18 11:57

「強い意志と理念」   

人が何かを始める時、最も大事な物は何なのか。資金か、設備か、知識か、情報か、お客様か。どれも大切であるが、最も大切なのは「何をしたいのか」という強い意志であり、「何のためにしたいのか」という強い理念ではないだろうか。

私が協会創立以来21年間、様々な困難の中、挫折しないで今日まで来られたのは、「若者が夢と希望を持てる農業の姿を創造する」という強い意志があったからだ。
困難な出来事に出会った時、自分の心が砕けそうになった時、「自分には天から与えられた使命がある」、自分は「農業の将来に夢と希望のある未来を造る」使命を与えられているのだということを、自分自身に言い聞かせてきた。

その目標達成のためにはどんな困難でも乗り越えられると、常に考え続けてきた。その考えは今も同じであり、これからも変わらないであろう。

# by a-wakui | 2008-04-17 17:04

「ゼロからのスタート」   

5月上旬より、会員の皆様に野菜をお届けするための準備を急いでいる。野菜は、米と同じように基本食料であり、食卓には欠かせないものである。

1年間安定して野菜をお届けするためには、夏から秋までしか栽培できない秋田県産野菜だけにこだわるのではなく、全国からおいしく安全で安心できる野菜を準備しなければならない。
また、野菜の産地、生産者、栽培方法の情報公開と、公開内容の確認ができるシステムを構築しなければならない。

会員の皆様だけでなく、おいしく安全な野菜を求めている多くの方達に、どのように情報を伝えるか、どのように注文を受け、どのように発送するのかを決定しなければならない。

21年前に、あきたこまちの産直を始めるため協会を創立した時も、今のように全てがゼロからのスタートだったことを思い出す。
協会創立当初、精米設備もコンピュータも袋も箱もなく、販売方法もわからず、社員もそしてお客様も1人もいなかった。あるのは自分たちが栽培した「あきたこまち」と、農業の将来に対する夢だけであった。

# by a-wakui | 2008-04-16 14:52

「大潟村農家の40年の取り組み」   

平成18年度の農林水産省の統計によると、秋田県の農業は、後継者不足から近い将来1人あたり300haを耕作しなければ、現在の生産性は維持できないという数字が出ている。
そのため、国は集落営農組織の設立を急いでいる。国の取り組みは、一面的には間違っていないと思うが、他に良い方法がないのかというと、他にもたくさんの方法があるように思う。
農民は文章に書いたものより、自分の目の前にあるものを信じ、その真似をしようとする。それが最も賢いやり方であることを、農民は良く知っているからである。

現在、大潟村は日本中の農協から、また行政から、そして政治家からも「農業政策を守らない、不届きな農家の集まり」と言われている。本当にそうだろうか。平均15haの農家がこの40年の間何をしてきたか、そして今、何をしようとしているのか。

大潟村の農家が辿ってきた40年の歴史、そしてこれから取り組もうとしている様々な事業、これら全てが日本農業のモデルではないだろうか。
物事は全て、見る人の視点で答えが違ってくる。

# by a-wakui | 2008-04-15 12:00

「共同利用による経費削減」   

大潟村農業のモデル性を語る上で欠かせないもの、それは大潟村入植者の米の販売努力だろう。

大潟村には、大小合わせて100社を超える米の販売グループがあると言われている。
今は、多くの人が米の販売のために数々の協同を組んでいるが、その人達が農機具の協同利用に取り組んだら、農機具のコストも今の5分の1、10分の1になるのは簡単だ。
そして余った労働力や農機具は、大潟村以外の集落営農の請い耕作に参加したらどうか。
集落営農は5年間補助金が出るようであるが、6年目からは何の補償もない。5年後には、今の構成員は皆70歳を越えて、個人経営には戻れなくなっている。

多くの集落営農をまとめて経営するには、100ha、200haの経営が当たり前のように議論されるようにならなければならない。

# by a-wakui | 2008-04-14 14:30

「集落営農の実態」   

本当に余計なお世話かもしれない。

農家は意外に利口である。農業に取り組んでも、将来に見込みがなければ、農地の価格が下がる前に農地の売却を考える。
また、後継者が勤め人になるように、15haの兼業化が始まっている。

大潟村の農業が、国際競争力のあるモデル農業になるかどうかは別として、日本中で進めようとしている集落営農化事業のモデルになることは間違いない。
大潟村では、協同経営をすることが義務づけられたが、1~2年で全て解消した。きっと、日本中の集落営農が同じ経験をするだろう。
また大潟村では、30haは個人経営の時代になっている。そして将来的には、100haを越える農業団体ができるだろう。今のトラクター・コンバイン・田植機の能力は昔の10倍もあるのに、自作地が狭すぎるからコストが下げられないのだ。

# by a-wakui | 2008-04-13 11:16

「経営の見直し」   

営農開始と同時に減反政策が始まり、大規模機械化農業を夢見て入植した農家も、入植以来40年が経ち、入植一世の平均年齢は70代も半ばを過ぎた。
入植時、21歳で1番若かった私が60歳になったのだから当然だ。
村の様々な集会に参加するメンバーの80%が、後継者の時代になった。
私は、参加者の中では1番の年寄りになってしまった。

入植一世は、減反政策の中で営農に取り組みながら、土地代金という償還金を返すのに一生をかけた。
後継者は土地代の償還金はないが、代わりにトラクター・コンバイン・田植機等の設備投資の償還に追われている。

今の農機具は、入植当初の農機具に比べて能力も価格も何倍にもなっている。
また、入植当初の3倍くらいした米価が、今は1.5倍くらいにまで落ち込んでいる。農業関係者の間では、近い将来、入植当初の米価と同じくらいになるのではと心配されている。
入植当初と違うのは、農機具の設備投資だけではなく、生活関連経費が比べものにならない程高くなっていることだ。

今こそ大潟村の入植者は、設備計画も生活スタイルも見直さなければならないと考えているが、余計なお世話だと言われるかもしれない。

# by a-wakui | 2008-04-12 12:44

「離農しない農村」   

最後の種まき55ha分が、今日終わった。田植えが10日間かかる。その田植えの日程に合わせて種まきをするため、3回に分けて種をまき、間の数日は休日になる。これからは代かきと、砕土と均平に取り組む。

大潟村のモデル性は、今こそ大潟村の農家自身で創造する時代が来たのではないか。20年近く前に、大潟村の干拓に深く関わった農林水産省の職員で、その後秋田県立短期大学の創設に関わった先生が、私に「モデル農村とは離農しない農村を創ることだよ」と教えてくれた。
北海道の開拓のように、多くの開拓農家が離農した経緯から、最初に「離農しなくて良い農村を創らなければ何も始まらない」との考えからだったのだろう。

残念ながら、589人の入植者のうち、既に60人が離農し、これからも100人程が離農するのではないかと言われている。
入植者の経営が行き詰まり、離農するようであれば、モデル農村もモデル農業もあったものではない。

# by a-wakui | 2008-04-11 16:45

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